安田善次郎⑭

財閥編・46回安田善次郎⑭

 

善次郎ほど、素顔を理解してもらえない人はいなかったと思います。筆者としては、一人でも多くの方に彼の素顔を伝えたい、それが本音でした。悪い事は黙っていても必ずばれてしまいますが、良い事は声に出さないと伝わりません。その事が、誤解を招き大きな火種になり、命を落とすことになります。彼もそんな犠牲になった一人です。今回終焉にしようかと思いましたが、まだ彼の良い事を伝えきれていない。誤解は解けたのでしょうか?彼は寺子屋を出ただけでしたが、たゆまぬ努力をした人です。一流の文筆家に比肩する文章力を身につけたり、書・絵画・芸術家に対しての支援も惜しまなかった。政府はどれだけ彼のお金に頼った事か?世間には冷たいぐらいに、世の中を分析しますが、今を見ているのではなく未来の日本の指針を示すには、時には非情な判断が必要でした。でも普段の彼はこんな人でした。一代の富豪となった後も、人に接する態度は変わる事は有りませんでした。いつも親切丁寧で、相手が恐縮してしまうほどに腰が低い人でした。ある紳士が、狭い小路を歩いていた時の事で、雨上がりだった事に加え道普請の最中だった為に水たまりがそこここに有り、おまけに道は細く、一人しか通行できるスペースがなかった。自分の前にはこぎれいな身なりの男性が歩いています。そこに運悪く、いかにも貧しげな様子の老婆が向こうからやってきます。どちらかがぬかるみの中に入って道を譲らなければなりません。どうなる事かと見守っていると、その男性は躊躇することなく自らの両足を泥の中に踏み入れ、先に老婆を通してやりました。その男性が善次郎で、当たり前にそうゆうことをする方なのです。旅に出る時は、手提げ鞄一つ。見送りもさせず一人で飄然と出かけるのが常でした。無駄な事に手間を掛けさせるのは嫌いでした。福沢諭吉の娘婿で異色の実業家として知られた福沢桃介(彼も大磯に別荘を持っていました)も彼の著書「財界人物我観」に書いていますが、安田に関してこう述べています。私自身、非常識だから、変わり者が好きです。安田は天の生んだ変わり者だ。だから、私は安田が好きだ。大正8年の夏に、箱根の函嶺医院(現・予約制の日替わり温泉になってます)に居ました。鉄道について安田に話があり逢いに行った時、「ご病気で入院ですか」と聞くと、いや大したことは有りませんが、宿屋は金持ちの客で一杯で、うるさいから避暑かたがた入院しました。この方が楽ですからと真面目に答える人でした。