浅野総一郎②

財閥編・52回浅野総一郎②

総一郎は、商人になりたいという思いを伏せて、医者としての人生をスタートさせました。そんな折、彼の医者としての人生を変える大事件が起こります。文久元年(1861年)夏、富山でコレラが大流行。この時代コレラの治療方法や、消毒すら解らない時代でした。氷見でも何人もの人が亡くなりました。医者として成す術がなく「傷寒論」の知識だけを頼りに病人を治療する事の限界を感じていました。医者は患者に対して1日でも長く生きて欲しいと祈るだけだった。そんな自分に空しさを感じていた時、追い打ちを掛ける事がおきました。ある若者が、父親の容体が悪くすぐ往診して欲しいと、駆け込んできました。若者と一緒に、全力で彼の家に向かいましたが、事既に遅くその父親はコレラで命を落としました。若者は「おとっちゃん、おとっちゃん」と泣き叫びました。総一郎もその側で、「なんにもできんで、ごめんなさい」背中を小刻みに震わせ、涙をぬぐうことが出来なかったと、後に語っています。この帰路、彼は考えました。「自分には医者として限界がある、やはり商売の世界で行きたい。やりたいことをやろう。生まれ故郷の薮田村に戻り一から出直そう」人生のリセットを決めたのです。彼は、その夜養父の家を出て、ただひたすら人生の再出発を考え、5キロの道のりを歩いて実家に帰りました。すでに午前零時を回っていたが、「おっかちゃん、総一郎が帰ってきました」母は、びっくりしました。こんなことをしたら、養父に義理が立たないと、しかし可愛い息子が戻ってきた、やはりうれしいとその夜二人は、布団を並べて寝ました。翌朝、養父が日本刀を手に怒鳴り込んできました。でも、母はただ平謝りするしか有りませんでした。実家では、父・泰順が7年前に亡くなっていて、母が対応するしか有りませんでした。この騒ぎを聞きつけた村の実力者・山崎善次郎が駆けつけてくれました。総一郎は、これからの人生どれだけ彼に救われることになるか、氷見の大恩人です。山崎に言わせると「薮田村で総一郎が生まれたのは、カラスの巣の中で鷹の子が生まれたようなものだ、総一郎は将来大したものになるぞ」と、人生最初に彼を評価してくれた人です。ここから、彼の九転十起がスタートしますが、氷見にいる間はどれだけ彼に世話になるか、その恩返しが又彼の成長へと繋がります。今、人生につまずいたり、失敗している人は彼の生きざまを見て、またひと頑張りして下さい。では次回へ。